2019年4月2日火曜日

粘弾性について4)_万物は流転する


粘性や、弾性、物体の流動や変形に関する学問を、Rheology(レオロジー)と呼びます。
呼ばれているところは聞いたことがありませんが、日本語では、「流動学」と呼ばれる
ようです。


紀元前5~6世紀ころの、ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは、
「panta rhei (万物は流転する)」
という言葉を残したそうです。


ニュートンが、ニュートン力学体系を解説した、かの有名な「プリンシピア」の中で、
ニュートンの粘性法則を提起したのが、1687年。

フックは、1678年、著作「復元力についての講義」の中で、フックの法則について論証
し、また同著の中で、フックの法則を、1660年に発見したと記しているようです。

このレオロジーの2大法則の発見から、200年以上のちの、1920年、ユージン ビンガム
は、ヘラクレイトスの言葉に、接尾辞として、学問を意味する「-logy」をつけて、Rheology という造語を作り、学問としての体系化に貢献しました。

ヘラクレイトスは、物体の変形や流動を意味して、「万物は流転する」という言葉を
残したのではないと思いますし、
ニュートンと、フックも、それぞれが発見した法則が、一つの学問のなかで合わさり、
骨子となるとは、思ってもいなかったと思います。


ビンガムが、ヘラクレイトスの言葉から、Rheologyという言葉を作ったのは、おそらく
「万物は流転する」という言葉が、レオロジーの本質をついていたからだと思います。


ある物体が固体なのか、液体なのか、その定義は、専門とされる学問の分野それぞれで、
異なると思います。

レオロジーでは、物体はすべて流体であるという視点にたっています。
つまり、「万物は流転する」です。


例えば、氷河を一目見たいと、観光で訪れ、数時間程度、氷河の観察を堪能しました。
氷ですから当然、カチカチの固体です。観察中、なんの変化もありませんでした。
なぜ、流れもしないものを、「河」と表現しているのか、とも思えてきます。

しかし、実際には、氷河は一年に数メートル程度、流動しているそうです。
10年であれば、数十メートル、流れていくことになります。

もし、目の前に普通の河川があり、ぷかぷかとボールが流れていくさまを、数十メートル
ていど、ぼんやりと目で追っていたとします。
おそらく、その時間は、数秒から、数十秒程度でしょう。

このさまをみて、当然、水は流体、と思うはずです。

数十メートルを、数秒から、数十秒程度で流れるものを、流体と定義し、10年で数十
メートル流れるものは、流体として認めない。

この考え方はアンフェアだ、というのが、レオロジーの立ち位置です。

十年という観測時間が長いのか、短いのか、それは目的や人それぞれです。

例えば、十年で数十メートルに相当するくらい変形してしまうような材料は、ふつう、
工業的な用途には適しません。
そのような目的では、その物質は、流体としてとらえた方が良いわけです。


どのような物体も流動しています。速いか、遅いかの違いだけです。
ただし、速い、遅いの閾(しきい)について、神様は差別をしていません。
それが固体なのか、液体なのかは、その物体が変形した大きさと、それを観測した時間を
比べて、それぞれの目的をもとに、その人の判断で決めてください。

レオロジーでの定義では、このように解釈されます。

これは、緩和(時間)という、物体の挙動を理解する必要がありますが、緩和については
またいずれの機会で説明をしたいと思います。


また、レオロジーでは、時間と温度は等価である、という、ユニークな視点があります。

例えば、どうしても短時間で、氷河の流れを見たい時にどうするか。
熱して水にして、その流れを見れば、氷河が長時間の中でどのように流れていくかが
わかります。

逆に、氷のかたさを、水の状態から知りたい場合はどうするか。
素早く、水の表面を手で打ちつけてみる。

この考え方は、温度-時間換算則と呼ばれますが、これもまた、いずれの機会でとりあげ
させていただければと思います。


過去の投稿
  粘弾性について1)_学校の定期試験を例にとった説明
  粘弾性について2)_固体はかたい、液体はやわらかい?
にて、粘弾性の測定は、液体成分と、固体成分に成分わけされた弾性率の情報から、
かたさとともに、物体が液体的か、固体的かを教えてくれると説明しました。

今回の投稿では、

液体的か、固体的か、は、観測する時間によって変わる。
そして、どんな物体も、長時間の観測のなかでは、流動している(液体成分が支配的に
なる)。
その流動に向かっていく物体の挙動を、緩和と呼ぶ。

ということを説明いたしました。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。